備望録

備忘録/英語/Jazz/ギター/将棋/

青年期経験中

青年期は少年と大人の中間期。少年が大人になるために通る道。どちらの性質も持ち合わせている。かくいう僕も青年期真っ只中の大学生。それ故いろいろなことを思い考える。

 

 

まずは子供と大人を比較してみる。分かりやすく二元論的に考える。

〈子供〉←→〈大人〉

①感覚的←→理性的

②経験が少ない←→様々な経験有

③知識が少ない←→多様な知識有

④行動に制限が多い←→ほぼ何をしても自由

⑤責任が伴わない←→責任が伴う

 

こんなところだろうか。今回は、この中でも特に②,③,④に関係する青年期、中でも大学生の人間関係について、最近思うことを書いていきたい。

 

 

結論からいうと、「青年期おける深い人間関係の構築は、難しい人には難しいのではないか」というのが最近僕が感じたことだ。極めて漠とした結論だが、ここでいう「難しい人」というのは、何かアクションを起こす前に、そのアクションによって発生する結果やメリット・デメリットを考えるタイプの人だと思ってもらえればいい。思慮深い人、見方を変えれば打算的な人と言い換えてもいいだろう。僕もこのタイプだ。

 

この結論に至った理由は2つある。1つは特定の人と日常的に時間・空間を共有する機会の減少。例えば、大学生は、小中高校と違ってクラスという考え方でなく、講義の種類によって受講者が決まる。そのため、いわゆるクラスメイトがおらず、日常的に時間を共有する機会が以前より少なくなってしまう。交流機会が少なくなると、それだけ密な人間関係を構築するのは困難になる。なぜなら人は共有した時間が長いほど仲良くなれるから(単純接触効果)。解決策としては、自発的にサークルなどのコミュニティに参加し、他者との交流機会を作ることだろう。

 

2つ目は、初対面の人とコミュニケーションをとる際に、様々なことを頭で考えてしまい、立ち入った話に踏み込めないという理由。これは前述したタイプの人特有の理由だろう。これは実体験だが、本当に様々なことを考えてしまう。趣味・特技を聞かれ、一瞬頭の中で次のようなことがよぎる。「映画鑑賞が好きだけど、果たして自分は趣味と言えるほど映画を観ているのだろうか。また、他人と語り合えるほど映画に造詣が深いのか。仮に相手が本当の映画好きだとしたらその後の会話についていけるだろうか。もしついていけなかったら恥ずかしいし、相手に申し訳ない」

自分でも思う、考えすぎだと。もちろん一瞬で上の思考全てが頭によぎるわけではないが、その時の思考を言語化すると大体このような感じになる。もちろん、自分が本当に映画好きだと自負しているなら、こんなことは考えず、「自分は趣味は映画だ。相手の話についていけなかったら、相手がめちゃくちゃ映画好きなだけだ」と考えることができる。''自分が本当に映画好きだと自負している''ならだが。映画や音楽鑑賞などオーソドックスな趣味を語る際、そのような人は少数派だろう。要は「考えすぎる」のだ。趣味・特技、出身、家族構成、どんな話題であれ、考えすぎてしまう。1つの対応策としては、自分の身の上話をすることだろうか。そうすることで、相手も親近感を抱いてれるし、その後何か聞かれたくないことをこちらが聞いてしまったとしても、悪気は無いことを分かってくれる可能性が高いと思う。

 

 

1つ注意して欲しいことは、これらの理由、特に2つ目は完全に僕の個人的な考えであることだ。あくまで今の僕の感じることを書いただけ。時が経つにつれて、僕自身もこの考えが変わるかも知れない。